休みだけど予定が多くて休みではなかった。
朝、用事をひとつ片付けて(「数字は裏切らない」は名言だったな)、危うく行きそびれかけていた写真展に。えがった。次の予定を気にしつつ、海で停泊中の帆船を眺める。えがった。何か面倒な気分でいっぱいになりながら、用を済ませて一旦コーシー。熊谷守一の本を読んでほぐす。胃としてはコーシーがしんどかった模様。ごめんな、胃。お願いしていたものをいただきにあがり、今日の義務はあとひとつを残すのみ。裏通りの耳鼻科の上にあるギャラリーで絵をみた。メインでない人のファイルに入った絵がとても気に入って、来月はその人の個展だというのだけど、日程的に行けそうにもない。テーブルの上には猫、窓の外には魚、アルルカンには縄。見入っている後ろでは、そこのギャラリーの主人がアーティストに説教(苦言とも談笑とも)しているところだった。新しくできたケーキ屋でケーキ買ってとりあえず家に戻る。今もって本日最後の義務が終わらぬまま、けっきょく何もはかどらず、とりあえず風呂に入って寝てしまおうと思っているところ。
きれいな花は誰がどう撮ってもきれいかどうか。てな文脈のものじゃなくて、もっと写真としてあらわれたものに何かがあるのかも、てかそうなんだろうって、今日思った。そもそも、その写真展のフライヤーを見ながら、私は単純に興味をそそられていたんだけれど、その横から「広角レンズで撮れば誰でも面白い構図になるからな」というような話をされて、構図とか技術とか道具の結果とかそんな話を鬱陶しく感じていたのだった。大体、私自身は旅の欲求がなくて、外の世界の景色だからというだけでただ喜んだりはできない。だからそういうことでもない。今日目にした写真はただその写真たちが美しくて、それはカメラのこちらの人とあちらの人とが美しくて、つーかこちらとあちらの間が美しいということで、何つったらいいのか、言葉が粗いけど「人の魅力」そのものだったと思う。いやほんと粗いな、でもどう言ったらいいんだ。あんな写真を撮るなんて人を愛していない今の私には絶対できないことだ。まあその写真をみて動いた心があるだけ救いだ。この段落は言いたいことの順番がめちゃくちゃだ。
他人の結婚式の写真で涙腺ゆるむなんて史上初のことだったのです。