七月から休みのたびにどっかへ徒歩ででかけている。徒歩は散歩じゃない。そのものを目的とするものではなく、移動の手段としての徒歩なんだけど、たぶん徒歩するためにどこかへ向かうという目的と手段の転倒は明らかに起きてる。認める。自転車とか車とかと一緒なんじゃないか。新しいスニーカーを買って履いた瞬間から徒歩って手段が実線として目の前に現れて、まあまあの健脚ポテンシャルが主張を始めて、だもんで休みのたびにスニーカーを履いてどこか少し離れたところまででかけている。先週は休みが一回飛んだので、明日は二週間ぶりの休みで、だからスニーカーを履く。アイポッドとかは置いていく。もともと道の上に音楽は要らない。
休みのたびに天気に恵まれたのは幸いだけど、つまり炎天下を徒歩しているわけで、少し肌が焼けた。そもそも割りに白い方だし、日に当たる生活でもないから、こんなふうに焼けることに戸惑っている。日に当たらない生活だから日焼け止めとか塗るって発想がなくて、ずいぶん経ってからそういえばみんなはそういうふうにして紫外線を防いでいるんだったって気がついたけど、まあいいや。明日は薄手の長袖があるし。かわいい帽子あるし。
スニーカーを買ってから地図をみるのが楽しみになって、地図をみながら改めてこの街の狭さを楽しんでいる。地図で見下ろして、徒歩で縫い辿って、狭くてきれいな街だなとしみじみ思う。
さりとて丁寧に景色を焼き付けるようにみるわけでもなく、かといって深い思索に耽るでもなく、道を歩く。もっと何か考えたらいいんだけど、前に進むのに忙しいもんで。考えなきゃいけないことがたくさんあるはずなんだけど、言葉を繰るのはこの時間にすることではないようで、そうやって棚上げしているからか、ここのところの悩まなさ。なぜか疚しくはないから、それでいいことにして。