後悔

私だって明日しぬかもしれない。今日かもしれないし、ていうかしぬとしたらその時はいつだって今日だ。それなのに部屋はこんなに散らかっているし、散らかっているどころか汚れているし、人に見られたくないものだって露(あらわと読みます)だし、返せていないお金とか本とかDVDとかもろもろの恩とか(本当は恩は返すつもりがない)探せば出てくるだろうし、恥ずかしいやら申し訳ないやら。穴があったら入りたいとはこのことだ。そん時ゃ正真正銘墓穴に入らんとするんだけどさ。悲しむ人がいてもいなくても、私は悲しい。きっと号泣するだろう。こんなはずじゃなかったとか言うんだろう。なまじっか希望とか夢とか明日とかを信じて生きているもんだから(半信半疑なんだけどね)、未来を賭して現在を消費しているというのにその覚悟ができていなかったもんだから、「はい御破算」と突き付けられたら泣き崩れるしかないんだろう。こんなはずじゃなかった、そんなつもりじゃなかった、これからやるつもりだったのに、最期に出てくるのがこんな女々しい言い訳しかないってのはちぃとアレだなあ。みなさんありがとうとかもっと光をとかは今の私にゃ無理だ。当面はごちそうさまでしたを目標に生きようこれから。知らない人のともだち(もちろん知らない人)が死んだ話を聞いて死にたくないと思った話でした。
今日は数回、6才からの十数年を生き直したいって思いました。心底。