もんのすごくおおづかみなことをいいます

今、必要なのは「哲学」とかそういうなんつーかおっきな、ともすれば都合のいい理屈に付ける肩書きじゃなくて、倫理や道徳について考えようとする意識か、あるいは形而上学的な「存在」とかそんなところまで突き詰めてしまう敬意とか畏怖だ、と思う。己の人生の指針なんてものは勝手に抱きさらせ、と思う。
思うけど、私、自分で自分の思ってることが判ってんのか。
簡単に言うと、哲学が嫌いなんじゃなくて哲学という言葉を使いたがる人が嫌いなんだ。「現代社会を生きるのには哲学が必要。」とか「自分の哲学を持ってない奴は駄目だ。」とか。別に「学」をしろとはおこがましくて言えないけど、そういうのを聞くと何かこう、背中をもじゃもじゃしたものが走るんですよ。何でもそうだけど、例えば、「科学技術が現代の人間生活をダメにしたんだー。自然に還れー。」みたいなどこをとっても抽象的な言葉を言われると、うんざりするわけで。ちみは漠然とした科学技術っちゅうもんに感情をぶつけてみただけだろ。ちみはもやーんとした哲学っちゅう言葉に期待を置いてみたいだけだろ。私にはそれをあきまへんと言う権利も何もありゃしないから、とりあえず、そういうのを聞くと背筋がもじゃもじゃしてイヤなのよねっと書いてみる。いちいち言葉を同定しろっちゅうんやなくて、私が勝手に他人の使う「意味の多い単語」に神経質になっているだけですから、気に触った人は聞き流してください。
ストレス発散。「思うけど、私、自分で自分の思ってることが判ってんのか。」ココが味噌。倫理とか言うても大雑把には違いないわけで。足下に石があったから蹴ってみた、程度の思慮ゼロざんす。