みやじゃきの結婚式。淡路へ旅。
初めて大橋を渡った。そもそも淡路が初めて。いいところですね。神様が幅を利かせている土地って好きだなあと改めて気がついた。「神話というのはごく新しい言葉で、それまで日本は神様のいる世界とわれわれのいる世界(と歴史)は同じひとつづきのものだったのです。」花嫁も花婿も光に包まれてた。仕事だから当たり前のことだけど、宮司さんが誇りを持って神様を語るのが、今ここで日本人でよかったって思わせてくれた。やるなおっさん。破壊し、ふたたび産み落とす、ふたりの神様の話を、祝いの場に相応しくないかもとしながらも、ふたりの人の未来に希望を託すように語るおっさん。やっぱりいろんなことに意味ってあるのかもしれないってバカな私でも勘づく。「日本では神様への祈りの主体は人間の側にあるんです。そっちの方が好きだなって私は思います。」しかし屋外での式ってじいちゃんばあちゃんの生命が危ういほど寒かった。
あんたに腹黒いと言われる私が、素直に人の幸せを嬉しく思ったのですよ。あんたの人徳ですよ。初めて会った友の友もまたみなやさしい人たちだった。あんたらの人徳に決まってますよ。

夜、鹿と土の夫妻の話を興味深く拝聴。そういえばあの、お湯を飲むっていうのも人たらしの行動だなって一日経って気がついた。ほんといろいろためになる。
信じる根拠がないんだよ、自分を。