スポイルという単語も、逃げのような気がする。
よしあしで言えば、あし。地に足のつかなさが、何もかもの覚束なさが、空虚のしるしのようで。
「ああ」と言って、上を向いて、目を瞑ったら、次に気づくと朝で、焦っているんだけど、いっそあいそつかされたほうが楽だなあって、また口あけて上向いて、そんなふうにして、簡単に十年とか二十年とか過ぎていく。こういうのってある中やらやく中の精神状態となんら変わらないんだろうなあ、と十代の頃は思ったもので。芯に火がつかないのは「意志の弱さ」なんて言われるけど、じゃあ、この怠惰を司るのが私の意志でないのならどこからくるのかってね。私という主体はどれで、向き合うべきあの湿った布団のような何かはどこに根があるのか。ものごとを甘くみてしまう姿勢はときにえらい武器にもなることがあるにはあるけど、基本的には自分の首をじゅわーっと絞める。
休みの四日間で、「いないなー」の影が少し濃くなってしまった。いる人はいない人よりいるんだから大事になさい、と反省したときの私なら言うんだけど、のどもとが過ぎて渇いてしまっては、いる人よりもいない人の方がきっと都合がいいんだ。ずうっとそうやってきたんだもの。甘えが通用しなくなったら、ほんとうにひとりで影たちと暮らすのみ。
明日は期日前投票に行ってこよう。比例区はいのも党かなあ。大人だからそのおふざけには乗らないでおくつもりだけど。