狐狸

思い出し話その三。そこは地獄の一丁目であった被服室。手先の不器用な隣の男の子がエプロンを完成させても、まだ作っている人々がいた。早くに片付けた私らは担任からの要請で人々を手伝っていて、その手の仕事が早かった数名と、担任と、エプロン作りに対するモチベーションが極度に低い数名が被服室で、ミシンだアイロンだってやっていた。そこでの雑談。そもそも生徒からの人望も信頼も得ていなかった担任が「私、ユーダ(仮名)さんから嫌われているみたいなの。何でかしら。」なんて言う。「(ユーダに限らずたいていの子から嫌われてますよとは言わず)さあ、女の子は根にもつから、センセイが何かしたんじゃないっすか。」とお茶を濁した。濁したつもりになっていたが、これが着火点。それまでに色色な場面で火薬を撒いていたわけだ、私は。翌日からなーんか変なんだ。空気がやばいぞと思った時はもう取り返せないレベルですからね、自ら地雷を撒くこどもたちは憶えておくように。居心地がすこぶる悪いなか、三日ほど経ってとくにコアな(各派閥に体勢変更が伝わるのは早かった)一団に「で、何なん?」と。「自分の胸にきいてみな」てな台詞で返されて、「判らんから聞いてんのや(ボケが)。」と何やら典型的なやりとりの挙げ句出てきたのが「センセイにユーダさんのことを『根にもつ』って言ったやろ。」「は?」「とぼけんなって。」とどうも被服室での雑談が発端らしいと判った。そんなこと言ってねえ、つか、あれのことなら一般論をやな、などと弁解しても、要は誤解であろうが何だろうが引き金は引かれたらお終いで、走り出したら止まりません。中立の穏健なグループに近寄っても、紛争当事者と関わるのはよろしくありませんから、力学として距離を置かれる。好戦的な一団は本当に楽しそうでしたな。色色蒸し返してくれるし、更には「オーさん(←これわしな)のお母さんがさあ、こーんなこと言ってきて困ったわ。」などと言われ、「常識のある大人がんなこと言うかボケ」と返したいところだったけど、それそこそこ反抗期のお年頃だもんで私自身が家庭内でも「なんじゃこのセクハラ女は」と腹の中で反発したりもしていた時期、全否定をできない。無邪気な男子も巻き込んでくれて、うまい揺さぶりをかけてくるんだ、これが。「臭い」(出た!)もあったな。効くぜ、あれは。正味一か月ほどだったか、体感三年。生徒会的なものや何かと仕事はあったので学校は休まず。この件を知らぬ程、教諭陣も鈍感ではなかったろうけど、私が「頼むから触れてくれるな」オーラを出していた。この中途半端な計算と自尊心が相手さんにとって好都合だったのは今になって判る話。結局この話は放課後に衆人の前で泣き崩れてとりあえずの完結をみる。最悪のカタルシス。感情の政治抗争に惨敗して「あー、疲れた。」安楽と屈辱を同時に手にし、これを経て校舎にもたれてひなたぼっこをするのが好きな老人と化したわけです。三学期になって同様のスケープゴートを演じることになった幼馴染みから相談をされても、「まあ三学期だし、もうちょっとしたら終わるんじゃない」とかわしたり。思えば優しさではなく心の磨耗を学んだのか。そういやあの頃「それが大事」がヒットしていた。「この歌、使えねえな」って思ったことを憶えている。
狸のような記憶力、なんつって。十数年後とはいえ、こうやってゲロしてみたら、何だか悪くないや。報われちゃいないが、アイ(仮)に醜態を見せたくないって頑張ってたんだなあと思うと健気で可愛いやないか。