きむたくのここが許せない

と、休みを控え、同僚が機嫌良く軽口をたたく。私は私で少しは体が楽になってきたので休みが楽しみ。
さっき友人が離婚した旨つたえてきた。当たらず障らずなりゆきに頷くだけの私はたぶん冷たい印象を与えるのだろう。「がんばれ」とでも言うのが礼儀なのかしら。彼女なら大丈夫だと無根拠に信じるだけでは何の力にもなれないのは判っているが。
「動物がそれほど好きでもないのに興味を示す。」私は動物が「そうやって在る」ことが喜ばしいのであって、それは好き嫌いじゃない。私は自分の器が他の誰かや何かを負いきれないと今は感じていて、いきものとのこの距離感や、ものを養う考えをもたないことはそれが根拠だと思う。それも好き嫌いじゃない。「熱中症で働けない」って言う無職がいてもそれはその生き方で、接待ゴルフに疲れる熱血営業マンが今どきいたとしてもそれはその生き方。人の生き方の全部を肯定してばかりいると自分の生き方を許してもらいたいって裏返しのようになるけれど。貴賎の賎を言い切れるほど潔く生きようとは思っていなくて、言い切りたくないっていう表側を「そうやって在る」だけのものは裏付けてくれるんだと思う。生き方とか在り方とかって言葉面の漠然としたものじゃなくってもっと「そうでしかない」具体的なことの重なりだから、炭まで喰らうこの事実が私っていきものなんだ。獣に施せないのは獣と対等ぐらいでありたい私の抵抗です。なんてな。
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大事なことを書くの忘れてた。
今日、お客さんに「痩せた?」って言われた。へらへら「え?そっすかー?」ってにやけていたら「もうすぐリバウンドやね。」ってさ。酷いやおまへんか。