なんとはなしに(なんとなくの関西方言?)のぶこぶ吉村のブログを眺めてて、6月9日の話にはいたく共感した由、ここにのこす。
数分後、なんとなくではなく、今日の寝起きにみたいいともの、目元のきれいな色白の空回りが頭の片隅に残っていたのだと気がつく。
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ところで、私は人の話を疑わない。穿って聞かない。だって面倒くさいもの。私は嘘をつかない。本当のことを言う匙加減も判らない。だって考えるのが面倒くさいもの。騙されていたとか、内緒にされてたとか、そういうショックも嫌いだから、人の話は信じていない。バイアスとセーフティネットによって何も心に届かない。昔からこうだったような、いや、もう少しは素直だったような。日々の暮らしから醸成されてきたものだとすると、たちわりい。