もう少し言い換えると、負けを認めたくないってことだな。言い換えっていうか単純にそういうことなんだな。「縁台将棋の待ったじゃねえんだしよ。」と腕組みして苦笑いする自分もいるんだけどね、「うるせえ、死ぬまで終わらねえんだよっ。」って顔赤くしてんのが本体なんだな。
みやじゃきが言うように「明日があるさ」で毎日を見送ってんのが私で、そうなのね、確かに今日の次には必ず明日があるんだけど、いつか明日のこない今日の日に行き当たることだけは決まっているわけで、そしたら明日に希望と負債を乗っけて日々を過ごすことがちょっと愚かだって気づくわけで。死ぬまで終わらないけど死んだらお終いだもんねえ。
変えることが苦手なの。道なりに、流れなりに、風向きなりに、乗っかっていきたいの。流れが止まらないようにできるだけ同じように同じことを繰り返して、つまりそれってお祈りのような暮らしだね。それを間違ってるとは思わない。負けも誤りも認めない頑固ものだから。でも、「いつか腹を決めなきゃって思ってるんですよ」って言い訳を抱えながらでは、「いつかっていつだよ」って突っ込みにしどろもどろするしかなくて、じゃあ同じように同じことを繰り返しながら新しい力を加えていかなきゃねえ。
負けを認めるつもりがないなら、道化と思われようが貫かなきゃな。