君待

私は、人がしていることを面と向かって否定してしまえるほど自分の考えやしていることに自信がない。毎度のことながら小ずるい奴だと思う。
中学生の頃の親友(親友という言葉を確認しあった仲、とはいえ私の無精が祟って疎遠になりがち)が結婚を機に宗教組織に入った。そういう日常というのは世間がイメージするよりもドライなものであるとしても、人間関係と数字はついて回る。それがなあ、そういうのがなあ。
ひょっとしたら自分はアンチカルトという思想に囚われているのかもしれないと思うことすらあるのだけれど、そんなじゃなくて、前みたいにもっと普通の話題がしたいだけなんだ。とりあえず今は彼女の普通が変わってしまっていることは受け入れて、もし何かの拍子に気持ちが翻ったらいいなって待っていようと思う。まっすぐさと切り替えのよさが魅力なわけであるし、その点は何をしていたって変わらない彼女のよさであって、春からこどもが幼稚園とか言ってたことだし(しっかしこどもが育つのって早えな)、世間が広がればきっと違った目線になったりもするんだろう。そもそも賢明な人だから客観性を全く失っているとは思わないし、私のこの距離の取り方もばれてんだろうし、つまり私の色眼鏡の方こそが友人関係を歪ませているのだと。でもなあ。