賞味

言葉の賞味期限を考えると何も書けない、と長い間考えていた。消費期限ではなくて賞味期限。別にちょべりばとかそういうのだけでなくて、書き言葉にもイントネーションと云うかリズムの流行り廃りがある。だから少し古い雑誌のコラムなんていちいちむず痒くて読めなかったりする。敢えて固有名詞を挙げなくてもそういう流れは周知のお話らしい。ネットなんてローカルな書きスラングの母胎かつ墓場だから、耳慣れて(見慣れて)は古くなるその繰り返しを短期間に見ることができる。それはカンブリア紀みたいで面白い。
私自身はいつも「今」ではない言葉であろうと気を遣っている。実は。これでも。時を限定する言葉遣いをとにかく避けたくて仕方がない。私は貧乏性だから、どんな詰まらないことでも磨り減るのが怖い。靴に靴下履かせているようなバカと呼ばれても仕方がない。普遍なんてもんはない、こんな当たり前に吝嗇が抗おうとする。私が標準だと思っているものだって、戦後からこっちの五、六十年かに書かれたものを基準にしているわけだから、短い期間の限定された言葉にすぎない。私が死ぬように言葉も死ぬ。ヒトがまだ滅びないように日本語も当分は日本語のまま消えない。生れながら死んでいく。そんな長大な生き物を相手に何かできるんだろうか、なんてびびったりなんかしちゃったりして。
はるはあけぼの、ひぐらしすずりにむかいて、ゆきかうとしもまたたびびとなり。